【 沿革 】

1683年 初代・岩間武左衛門 常州水戸上町鉄砲町

    (現在の水戸市泉町1丁目)に屋号「筑波屋」として開業

1945年 水戸大空襲の為「いろは蔵」等、土地の大半を失う。

      薬局を現在の泉町2丁目に移転。

1965年 昭和40年3月31日 12代目・岩間源蔵、壽昌山祇園寺の

     檀家総代を委託される。

1979年 12代目・岩間源蔵の意思を受け継ぎ、13代目・岩間香が

      祇園寺に心越禅師の碑を寄贈(右写真)

2003年 心越禅師のルーツをたどる為、中国杭州から使節団が来日

2004年 10月22日、15代目・岩間みち子、泉町3丁目に「岩間

      東華堂クリニック」開院。初代院長は岩間誠。

2006年 3月26日 近隣から出火、クリニック類焼。

      6月29日、岩間東華堂クリニック復旧工事完了。

2010年 クリニック、薬局専用駐車場完備。

2011年 2月1日、泉町3丁目に「リラクゼーション東華堂」を開店。

      3月11日、東日本大震災で薬局、クリニック、リラクゼー

      ション東華堂被災。従業員、薬学実習生の怪我人はゼロ。

2015年 泉町3丁目に「株式会社 東華堂」設立。

      7月17日 岩間東華堂クリニックでCEAT

    (がん活性消滅療法)開始。

2016年 泉町3丁目に「まちなかデイサービスななほし」開設。

2017年 岩間東華堂クリニックの併設で「訪問リハビリテーショ

      ンななほし」開設。

2017年 4月に厚生労働省基準適合『健康サポート薬局』となる。

2018年 現在に至る。

歴代 茨城縣士族黄金東華(本家)

   初代  岩間武左衛門      廓翁明禅信士

  2代目 岩間忠左衛門:初代 眞不了心居士

  3代目 岩間忠左衛門      一雲東華居士

  4代目 岩間治郎衛門      悟三鼎了居士

  5代目 岩間紋治郎:初代    智覺清圓居士

  6代目 岩間紋治郎     仙厳舎道壽居士

  7代目 岩間紋治郎             幻夢一醒居士

  8代目 岩間平次郎:初代    徳雲道潤居士

  9代目 岩間平治郎               禪峰道觀居士

     雅号:岩間東芝 萩谷せん喬の門下

10代目 岩間紋次郎       源性院洞雲紋龍居士

11代目 岩間ひさ        永照院良観妙久大姉

     雅号:岩間華仙 梅津霞峰、相馬寛哉の門下

12代目 岩間源蔵      春嶽院慈徳正源居士

13代目 岩間香       玄智院彰徳清香居士

     正七位陸軍薬剤大尉

14代目 岩間米子      清智院香室慈恵大姉

15代目 岩間みち子

岩間東華堂の初代は岩間 武左衛門。

創業は1683年(天和3年)、光圀公から生薬屋(常州水戸上町鉄砲町(現在の水戸市泉町付近))として官許されました。

右の写真を見ると、大きく『水戸家御免』と右下に『大日本國北斗香目薬本元御免調剤所』と記されています。

当時の屋号は『筑波屋』、直系の後継者は一名を『黄金東華(こがねとうか)』と号し、代々鍼灸や漢方薬で治療にあたっていました。現在は代表取締役が黄金東華裔孫15代目になります。

東華堂の由来ですが、東は五行説の五官・五根・五竅では目を表します。『東華』は『眼の華』を表し、『堂』は『「座堂行医」((堂に座して医を行う)』から来ていると伝えられています。日本でも○○堂といった薬局が多いですが、これは医聖祠に祭られている後漢の医者、張仲景の物語から来ております。

中国に伝わる神話では南斗星君は『生』を司る神であり、

北斗星君は『死』を司る神とされています。

(古代中国『魏』の神話『南斗の精と北斗の精』)

一方で北斗七星は中国では『医療に従事する』の意味があります。

また、北斗は妙見菩薩と関係があり、眼病平癒に験ある仏とされています。

北斗七星の印は医療人として代々受け継がれてきた

岩間東華堂の根源を物語るものです。

これからも北斗七星の印をご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。

光圀公の師で祇園寺の開祖である東皐心越禅師より

家傳『北斗香御目薬』を傳授されました。

筑波屋の北斗香について「加藤寛斎随筆」では、

江戸はおろか、奥州・上方にも取次店があったと記載され、

雑俳・柳多留118には「息子には目の毒となる北斗香」と記されています。

また、めぐす利「北斗香」は明治維新前の「水戸名産誌」に記載されました。

現在も北斗香御目薬総本家として受け継いでおります。

今日のように豊富に薬が出回らなかった頃、

当局の北斗香目薬は眼病薬として関東一円に広く知られていました。

当時は貝殻に薬を詰め、使う時には母乳や湯冷ましに溶かし使われてました。今日でも北斗香目薬を求めに県外から来局されるお客様がおられます。

北斗香御目薬は義公烈公はじめ慶喜公にもご献上した、と伝えられています。

北斗香めぐす利は斉昭公の著作「景山奇方集」に

「北斗香薬法心越禅師傳」として記されています。

他にも当局では東皐心越禅師傳の処方として益元七寶丹を受け継いでいます。

【 昭和6年6月9日 いばらき新聞 前田 徳之助 】

鉄砲町も五軒町に近い、垂揚亭の辺りから加藤歯科医院ある辺りまでは、

有名な「北斗香」を売る岩間家(黄金東華)の屋敷であった。

店は彼の角に東向きにあったが、

この家は義公時代からの薬屋(創業1683年天和三年)で、古雅な庭園があった。

家伝目薬の「北斗香」は明治維新前の「水戸名産誌」にも載っているが、

医者の少ない時代に、人々は眼疾となれば北斗香をつけると定まっていたもので、

遠近から買いに来る客で賑わった。

2010年茨城新聞